STORY

08.UnSunGの頭の中[UnSunGコラム]

君の生きる場所

幸せな生き方って何だろうか

空襲警報が鳴りひびく空を見上げた幼少時代。
幼い頃、わたしはイラクにいた。

しばらくぶりに日本に帰国後カルチャーショックをうけた。
それから「生き方」についてよく考えるようになった。

大人になった今でも発展途上国のスラム街でゴミ拾いをしながら生計を立てている少年少女のニュースを見ると胸にこみあげてくるものがある。

わたしの幸せの定義は、死ぬ間際に決まると思っている。
死ぬ間際に「生まれてきてよかった」と自分自身で思えるかどうか。
死ぬ間際に「ようやく人生の幕を下ろせる」と思って死にたくはない。

月曜日に仕事をいくのが嫌で嫌でしょうがないとか、
お金のために我慢して働くんだとか、
これを毎日続けていて幸せな死に方ができるのだろうか。

心のよりどころをプライベートの時間に求めるのも悪いことではないが、
あまりにも満たされる時間が少ない。

24時間、毎日が楽しいと思いながら生きていたほうが断然幸せに死ねる。
だから、働く人たちは社畜になっちゃダメだと考えている。

働く理由は、お金のためか? 名誉のためか?

わたしにとって、ブランド品を買うなどという欲望はない。
そんなものが一切なくても幸せに生きている人たちを沢山見てきたから。

見栄とか、格好とかは二の次だ。かっこいい車が欲しいなんてサラサラ思わない。
それより大切な人の想いがこもったモノのほうが嬉しい。

生きる上で個人の欲望をみたす夢は、
死ぬ間際になったらすべては必要がないもの。

モノはいずれ消える、想いは生き続ける。
だから身につけるものは誰かの想いのつまったモノであると幸せに感じる。

わたしにとっての幸せとは、幸せな家庭で笑顔が見れること。
共に働いてくれた仲間が幸せであり、仲間の笑顔が見れること。
それを感じることができたら、自分もまた歓びを感じる。

突き詰めるとわたしのとっての「幸せのありか」とは、
心から笑える素顔をみること。

発展途上国でも幸せに生きている人たちは、
きっとそういう関係が周りにあるのだと思っている。

だからわたしにとって、
そこに人生をささげる価値がある。

だからUnSunGは、
誰かを照らすカンテラを理念にしている。

老若男女「幸せのありか」はひとそれぞれ違うものであるはずだ。

人生をささげる価値を見いだすのは、どんなものでもいい。

ただし、見いだすことができるのは自分しかいない。

他人に自分の幸せを決めてもらうことはできない。
だってどんな綺麗ごとをいっても、みんな自分の幸せをまず最初に考えるから。

もし君が死ぬまでぶれない「幸せのありか」をみつけたなら、
君は生涯を共にできる仲間や望むべき環境を手に入れるだろう。

そして、そこが君の生きる場所。